武と汰一のお茶目な事件簿


 その日、俺はいつものように勉学に勤(いそ)しんでるつもりだった。
 しかし窓際に位置する俺の席は、
 春の麗らかな日差しを受けてか非常に睡魔に襲われやすい環境にある。
 人間ってのは正直な生きものなのか、または単に俺が欲望の渦に溺れやすいのか、
 いつの間に俺の瞼は自然に身を任せた赤子の様に閉ざされていた。


「武、起きろっ! 武っ!!」
 聴いたことのある声が俺の耳元を刺激する。

「‥‥‥‥」
 俺の心はこの心地よい夢の世界から現実へ戻る事を拒んでいた。
 だがいつまでも止まない呼び声に俺は陰鬱さが抜け落ちないまま目覚める。

「やっと起きたか」
 声の主を確認しようと目を凝らすと、それは汰一であった。

「何だよ、人が折角気持ちよく寝てたのに‥‥」
 寝不足を装ったように気怠そうに欠伸をしながら教室の時計をちらりと確認する。
 時計は既に16時を回っていた。
 辺りを見渡す限り人影も疎(まば)らな様相である。

「‥‥で、俺に何か用か?」
 俺の反応を聴いた汰一は頭を抱えながら近くにある椅子に腰を下ろすと、
 邪険の眼差しで俺の態度に不平を漏らす。

「あのなぁ〜昨日約束しただろ?」
 汰一が約束という単語を発すると同時に俺は、
 記憶の中に埋もっているそれらしい情報をいくつか照合していると、
 はっ!っと思い出したかのように頷いた。

「そうだ、万葉だ、万葉! あいつどこ行った?」
 俺は喉に突っかかっていた魚の骨が取れて喜ぶような感覚に襲われながら
 右手は何故かガッツポーズをし席を立っていた。 勿論椅子は倒れた。

「とっくに帰ったよ‥‥」
 それは哀愁漂う汰一の心の叫びであった。


 午後16時55分
 俺と汰一は万葉を尾行していた。
 あれから急いで万葉が毎日帰路しているであろうルートを、
 今まで培ってきた野生の勘と情報から思考した結果選択した道が、
 見事に的中し万葉との距離を一気に急迫するまでに至ったのだ。

 尾行は順風満帆に展開され一見完璧に見えるが、
 実際万葉が気付いていないのだから完璧なのだろう。
 そもそも尾行する動機は万葉の生活実態に興味を示した事が原因だ。
 俺や汰一が生活実体の事を触れる度に万葉は鹿爪らしい表情をするのだが、
 結局何も教えてくれないのだ。

 この様な態度をとられては好奇心旺盛な俺の熱いハートが黙っているはずがない。
 俺がこの計画を汰一に持ちかけるのにさして時間を要することはなかった。
 当の汰一もこの事に興味を示していたのか2つ返事で乗ってきたのだ。
 そう、まさに今、俺達は秘密のベールに隠蔽され続けていた、
 万葉の生活実態を究明しようとしているのだ。

「お、角を曲がった、急いで追わなきゃ見失うぞ!」
 何故か汰一はこの計画の発案者である俺を促し、
 この場をしっかりと仕切っている。
 当然俺は汰一の後をつけるという形をとらざるを得なかった。

「ああ、だが見つからないようにしろよ」
 余りにも自明的な意見を述べる俺、緊張しているのかもしれない。
 俺と汰一が慎重に曲がり角へ差し掛かろうとした時だ。

「きゃああああ」
 万葉の悲鳴(しかもソプラノ調)が2人の耳に入ってきた。
 慌てて声がした方へと駆け寄ると、そこには黒ずくめのスーツに身を包んだ
 いかにも怪しい男が万葉の体を束縛していた。
 男は俺達の存在に気付かないのか、はたまた俺達が遠くに居すぎるためか、
 ゆっくりと車の方へ歩みより着実に自分に課せられたであろう任務を遂行している。

「万葉ーー!」
 俺は本能の赴くまま、その名を叫んだ。
 黒ずくめの男は俺の存在に気付くと体をビクンと震わせこちらに視線を向けてきた。

「ちっ!」
 そいつは顔を顰(しか)めると車に飛び乗り、
 そのまま軽快なエンジン音と共にその場から姿を消した。

「あ‥‥!」
 慌てて駆け寄った俺と汰一の姿を見た万葉は、
 安堵の表情をしながらも怪訝な様子で俺達を見つめる。当然と言えば当然だ。
 そもそも俺と汰一がこの場に居るという不可解な事実が万葉を疑心暗鬼にさせた。

「あ、こ、これは‥‥そう、誤解なんだ、うん! 決して尾行してた訳じゃないぞ!」
 墓穴だった。
 いくら俺が千の言い訳を持つ男と賞賛(?)されていようが万葉の前では形無しだ。

「ふぅ〜〜〜〜ん、武さんってそういう趣味があったのね」
 怒ってる、明らかに万葉は怒っていた。
 そんな二人のやりとりを、さも自分は「武に付き合わされたんだぞ」
 という表情でひっそりと見守っている男、汰一。
 そんな汰一に叱咤すべく俺は万葉に全てを話すのであった。

 ‥‥結局
 俺と太一は万葉にきつい一撃をもらったものの許してもらう事に成功した。
 太陽は既に西に沈みかけ真っ赤な夕日が妙に感傷的な気分を引き起こす。
 その日、俺と汰一は友情というあつくソウルフルな絆を分かち合った気がする。
 そんな一日だった。


 次の日、万葉は学校に姿を見せなかった。
 最初はただの遅刻だろうと高をくくっていたのだが、
 その日全ての日課が終了しても姿を見せない万葉に、
 俺は不安を隠しきれない様子だ。 ‥‥まさか

「武っ!!」
 俺が不安の顔色を色濃くしていると汰一のやつがこちらにやってきた。
 どうやら汰一も同じ不安を抱いているらしく、
 全てが暗礁に乗り上げたという雰囲気を醸し出している。

「汰一‥‥どう思う?」
 それは明らかに愚問だった。 そう返ってくる言葉は既に決まっている。
 だが万に一つでも違う答えが聞ける可能性があるのなら、
 そこに救いの手を差し伸べていたかも知れない。
 だがこれは暗黙の了解で行われる二人の意志が同調するのを、
 確かめるといういわば俺と汰一の儀式の様なものだった。

「やはり昨日の奴だろ?」
 期待通りの返答、最も単純で倫理的な解答が汰一の口から発せられた。

「しかし何故万葉が狙われる!?」

「俺に言われてもわからないぞ」

 汰一は俺の側にある机の上に腰を下ろすと腕を組む。
 いわゆる思考モード突入ってやつだ。
 思考モードに入った汰一には下手に手を出さない方がいい。
 そうだな、ここは一つ汰一の奇想天外なアイデアに身を委ねることにしよう。
 ‥‥短いようで長い沈黙が幾許(いくばく)も無く続いただろうか?
 僅かに隙間を覗かせる窓から爽やかな風が教室に舞い込んできたとき、
 汰一の眉がピクリと動いた。

「そうだ。天野先輩ならひょっとして‥‥」
 全く根拠の欠片もない結論である。 期待した俺がバカだった。
 しかしここで何もしないで問題を燻(くすぶ)らす訳にもいかない。
 今、俺達に課せられた任務を精一杯やることで清涼さが心に浸透するだろう。
 結局俺は汰一の提案に賛同する他なかった。

 この時間、天野先輩は大概部室に籠もっているはずなので、
 俺達は躊躇(ためら)うことなく校舎の裏にあるオカルト研究会へ
 暗澹(あんたん)とした気分のまま足を運んだ。

 コンコン、俺がオカ研の扉をリズミカルにノックすると、
 数秒も経たない内に扉が開く。 そこには妖艶さ漂う女性がいた。
 天野先輩だ。

「あら、珍しいわね、一体何の用かしら?」
 天野先輩の甘い囁き声が俺の耳に入ると妙に夢うつつになってしまう。
 だが今はその時(?)ではない、俺は心の奥底に眠る理性という感情を覚醒させた。
 何とか興奮覚めた俺の体は正常心を取り戻し、事の次第を全て話す事に成功する。
 すると天野先輩はにっこりと微笑み自分の制服に手を入れ何かを取り出した。

「手を出して」
 天野先輩はそう言うと俺の手の平に先程取り出した物を手渡した。
 それは天野聡子と名前が彫られた振り子であった。
 これはもしかして大事な物なのではないだろうか?

「あ、あの、これは――?」
 渡された振り子を眼前に翳(かざ)しながら率直な意見を述べた。

「うふふ、それは貴方の心を映す道しるべとなってくれるわ。
強く思い描きなさい、そうすればきっと道は開けるから」

 そう言残すと天野先輩は部室の中へと姿を消した。

「どういう事だ武?」
 汰一が俺に問う。

「俺にもわから‥‥」
 ねえよ、と言いかけ振り子を垂直にぶら下げた時だ。
 振り子は明らかに不条理な動きをした。
 刹那、俺の脳裏に様々な情報が収束されていき、
 その中から一つの結論を導き出す事に成功した。
 それはダウジングだった。

 しかしその結論は同時に一つの疑問をも浮かび上がらせる結果となる。
 ダウジングは主に金属などを探知するのに用いられた方法である。
 それが果たして人体に有効なのだろうか?
 しかし俺は天野先輩の言葉を蘇らせると更なる可能性へと飛躍させた。

 つまりこれは天野先輩特有の、ある種特別な力が作用している振り子なのだ。
 そう、こうやって要因に埋もれた因果関係を自分独自の発想に転換してしまえば、
 人の心なんて単純なもので案外信じてしまうものである。

「さぁ〜てそれでは早速‥‥」
 俺は自分の導き出した結果に優越感をかみしめながら、
 万葉を心の中で強く想った。

「おおー振り子が!」
 感嘆の声を漏らす汰一。
 確かに振り子は動いたのだ、まるで俺達を誘うかのようにゆっくりと。

 ‥‥もう、どれくらい歩いただろう。
 振り子の反応が止まる度に、万葉の事を強く思い続ける俺。
 これはまるで計られた陰謀の様だった。
 もしかしてこれは俺が万葉に好意を抱いているという事実を、
 肯定する為の試練なのではないだろうか?
 などと勝手に妄想してしまう俺、きっと疲れてるんだな。

 突然振り子の揺れが止まった。
 それと同時に二人はその場に立ち止まり周囲の様子を確認する。
 そこは鳥の声が囀(さえず)る自然に囲まれた美しい別荘だった。

「武、ここなんだな? 万葉がいるのは!」
 はっきり言わせてもらえば半信半疑だ。
 そりゃそうだ、振り子に踊らされて事の次第がうまくいくとは思えない。
 俺は抑揚的な態度をとりながらも信じていたのかもしれない、天野先輩の事を。

「いくか?」
 俺はすぐ隣で姿勢を低くしている汰一に同意を求めた。

「よし、それじゃあ慎重に行動しよう」
 別荘の入り口には特に見張りをしているらしい人影はない。
 いやそんな些細な事は今の俺達には関係ないことだった。
 そう俺達の心の奥底に眠る熱いソウルが果断な行動をおこさせる。
 大胆にも汰一の奴はドアをノックしたのだ。
 しかも16ビートという軽快なテンポを駆使してやがる! ‥‥意味ないのに。

 汰一は根が真面目なのか如何なる状況に晒(さら)されようと、
 礼儀正しくノックすべき場所ではノックする!
 俺はこの汰一の拘泥に不遜な態度をとらざるを得なかった。

「まてまて汰一〜〜」
 俺は汰一の側まで駆け寄ると続けざまに第二声を発する。

「万葉を助けるのは俺だぁーーー」
 結局俺も同類だった。 所詮は同じ穴のムジナ、幼なじみってやつだ。
 そんなこんなで俺が汰一の行動に対して節度を守っていると、
 突然扉のドアノブが回った。 ‥‥カチャリ。

「くるぞ、気をつけろ!」
 汰一の顔が真剣な眼差しへと豹変する。

「わかってる」
 俺は仏頂面のまま汰一に相槌を打った。

 ギギギーという不気味な音と共に扉が開くと、
 そこには黒ずくめの男が仁王立ちしている姿が確認できる。
 俺達はそいつの体と壁に出来た僅かなスペースをかいくぐり、
 別荘の奥深く万葉が捕らわれているであろう部屋を目指して走った。

 ふと後ろを振り返るが黒ずくめの男が追ってくる気配はない。
 いけるっ! 俺は該博な知識をさらけ出し汰一を扇動した。

 それが効を奏したのか丁度二階へ続く階段に差し掛かったとき、
 近くにある部屋から万葉の声が聞こえてきたのだ。

「ここだな」
 汰一は慎重に腰を据えた。

「そうみたいだな」
 俺達は声のした部屋へと近づきそっと耳を傾ける。
 ――何も聞こえない。
 おかしい、確かにここから声がしたはずだが?
 釈然としない様子で汰一が俺の耳元で囁く。

「中に入ろう」
 大胆且つ単純、それでいてどことなく哀愁漂う見解であったが、
 この意見を覆すだけの提案が浮かばない俺に選択の余地は残されていなかった。

「たのもぉ――」
 言ったのは汰一だ、俺じゃない。
 汰一は自分の考えに同意した俺の言葉を聞くなりドアをけたたましく開けたのだ。
 部屋は畳8畳程の広さでいやにスッキリしていた為か、
 すぐに万葉の姿を見つけることに成功する。

「万葉――っ」
 しまった、本来、俺が言うべきセリフを汰一が先に口走っていた。
 万葉に駆け寄ろうとする汰一の前に一人の男が立ちはだかる。
 そいつは右手に木刀らしきものもっており悠然たる態度で俺達を見下した。

「汰一くん、それに武さんっ! どうしてここに!?」
 俺達の存在に気付いた万葉は驚愕の様相で言葉を発した。

「万葉こそ、どうしてこんな所にいるんだよ!?」
 心配、不安、恐れ、あらゆる感情を抑制し、
 伝えるべき必要最低限の事柄だけを言葉に変換する。

「私は‥‥」
 万葉が何かを言いかけた時、木刀らしきもの(この際、木刀で良いだろう)を、
 持った男が万葉の口を制した。

「貴様、何者だ!」
 汰一は渾身の言葉を男にぶつけた。

「お前に名乗る名前なんてねえよ」
 木刀を持った男は悠然たる態度を維持しながら言葉を続ける。

「そこのお前、そう、お前だよ、お前が武か?」
 男の木刀が俺を指す。

「そうだとしたら何だ?」

「ふっやはりな、それじゃあ俺と勝負してもらおうか!」

「なにっ!?」

 俺は怪訝な表情を浮かべる。

「もし、お前が勝ったその時は万葉を返してやる。
だがしかし俺が勝ったその時は万葉は俺がもらう!」

 全くもって理解に苦しむ無茶苦茶な理論である。
 そもそも何で俺が万葉をさらったらしいこの男と勝負しなくてはならないのだ?
 元々こいつが万葉をさらわなかったら、こんな事をしなくても済んだはずなのに。
 しかもすっかりと無視された汰一は部屋の片隅で丸くなってる始末。

「おらぁー返事はどっちだ? やるのか、やらないのか!?」
 答えは一つしかない、解りきっている答えをどうしてこういった輩は求めるのだろう?
 やはり自分の思考概念を第三者に同意させて安堵感を得るのだろう‥‥
 などと勝手に俺は理解した。 いやきっとそうなんだろう。

「やればいいんだろ、やれば‥‥」
 まさに奴の思惑通りの言葉を返してやったのだ。

「やっとその気になったか、それじゃあ遠慮なく、いくぜっ!」


 ‥‥決着がついたのはそれから15分後だった。
 木刀を持った男の大降りを見逃さなかった俺は渾身の力を込めて、
 奴のボディに拳を叩き込んだのだ。

「負けたぜ、約束だ、万葉は返すぜ」
 木刀を持った男は壁際に寄りかかりながらそう言葉を発した。

「武さんっ!」
 俺の事をずっと見守ってくれていたのか、すぐに万葉が俺の元へと駆け寄る。

「それじゃあ帰ろう、俺達の町へ‥‥」
 それはある晴れた午後、一陣の風が過ぎ去る暖かい日の出来事であった。

 俺と万葉、ついでに汰一が、別荘を後にする。
 俺は何気なくあの男の存在が気になったのか、
 きびすを返し再び男の姿を確認しようとすると‥‥

 男は愛惜の眼差しで俺、いや、万葉を見つめていた。
 その時俺はバラバラになったピースが全て埋まったようなそんな感覚に襲われた。
 そうか、あいつも万葉の事を‥‥。

「ねえ武さんっ!」
 万葉が俺の腕を取ったその時、俺の胸ポケットから何かが落ちた。
 それに気付いた万葉は、姿勢を屈めるとそれを拾う。
 それと同時に万葉の目がキリキリとつり上がっていくのがわかる。

「ねぇ〜武さん、これって何かしらぁ〜?」
 万葉は振り子を拾い上げると『天野聡子』と名前が彫られている箇所を、
 執拗に俺の目の前でちらつかせる。

「げっ! そ、それは天野先輩に借りた物で、お前を捜すために‥‥」

「そんな言い訳聞きたくないわよっ!」

 巧言令色も形無しの万葉の態度に俺は為すすべがなかった。

「もう、知らないっ!」
 完全に誤解だった。 俺の言い訳を聞く余裕すら与えることなく、
 万葉はそそくさと歩いていく。
 俺は憮然としたおももちで万葉の後ろ姿を見送るしかなかった。
 その時、汰一の目が一瞬キラリと光った事など全く知る由もない。
 その日の夜、俺の心に熱く悲しい絆が一つ増えるのであった。